こんなに変わった!気のトレーニング受講生喜びの声
こころ体験談
ストレスがなくなった
K.Eさん 42才 会社役員
導引術、動功術をするようになってから、身体の変化の著しさに驚いています。
長い間、腰から背中にかけて慢性的な痛みがありましたが、今ではその感じが嘘のようになくなり体全体が柔らかくなりました。
肩こり等についても同じような効果を実感しています。
また、身体が柔らかくなると不思議と考え方も柔軟になり、以前はストレスに感じていたことも全く気にならなくなっています。
ストレスに動じなくなった
札幌 N・Kさん (54歳 女性)
今まであった不調がだんだんとやわらぎ、また心もさまざまなストレスに対して動じなくなってきたと思います。
昨日も夫との会話で、今までならカッとなっていましたが、落ち着いて、客観的に考えることができました。
先生からの言葉で人生が変わった
A. Iさん 33歳 派遣社員
人間関係を築くのが苦手で、そんな自分を変えようと道家道学院に入学しました。
洗心術で先生から「考えすぎる前に一歩出ることが大事」と指導をいただき、自分から積極的に前に出るようにしたところ、出会った彼とも2ヵ月後に婚約。
また、導引術、動功術で、気の流れを改善すると、子供の頃からの冷え性もなくなり体がポカポカと温かくなりました。
先生からのご指導で自分を縛っていたものが「諦め」だったことにも気づき、それを取り払うことで、念願のデザインの仕事もゲット。
今では、幸せいっぱいの毎日です。
人の目が気にならなくなった。。
M.Hさん 33才 東京都 会社員
私は中学生の頃から家族で気のトレーニングを学んでいます。
習う前は、人の目が気になったり、思ったようにできない自分にイラだったりしていました。
でも、洗心術を受講したら、いろんな心の悩みを聞いたり話したりして、終わったらとても心がスッキリ、いろいろ悩んでたことが、ウソみたいになくなり、幸せな満たされた気分になりました。
友人関係やいろいろなことを、一人で抱え込まなく済み、心が軽いと元気になるということを体感しています。
人付き合いが楽になった
M.Wさん 46才 神奈川県 会社員
イラッとして怒りやすく、会社の人間関係でぎくしゃくしていました。
<道>学院で洗心術を学ぶうちに他人の話を素直に聞けるようになり、人付き合いが楽になりました。なぜかひどい生理痛まで取れたのです!
ありのままの自分を受け入れる
Y.Uさん 33才 岩手県 会社員
私は昔から人目が気になり、気持ちを素直に表現できませんでした。
「気のトレーニング」を始めてから、ありのままの自分を受け入れられるようになり、毎日をのびのび過ごせて、今はとても幸せです。
お母さんと友達のようになった
k.iさん 札幌市,会社員
私の両親は組合とか町内会とかそんなことにとにかく忙しく、夜は家をあけることが多かったです。
世のため人のためだといわれるといやとも言えず、 そんな両親に対して兄は完全に反発をしていて、その対立を見るのもいやで、高校を卒業したら早く家を出ようと思っていました
経済的に裕福ではなかったので、大学はあきらめて手に職をつけようと思いましたが、体を壊してしまいました。
その体調不良のことで道学院に通うようになり、からだのことと平行して、心の問題として洗心術を受けるときに 自分にとって一番気になることが両親との関係でした。
そのころはもうあいさつもしないほどこじれてしまっていたのです。
学長の言葉に。。。
洗心術では、『両親に対して優しい言葉がかけられない』、と話をしたとたんに涙があふれました。
学長からは、『優しい言葉なんでかけなくてもいい、それよりそんなに涙がでるのは、なにか我慢していることがあるんじゃない? 他の人の話を聞いて考えてごらんなさい。』とご指導いただきました。
学長の言葉に最初はピンとこなくて、我慢ってなに???なんか我慢してるかな??と思いましたが、 他の人の話を聞いているうちに、これかな。。。。。と気づくことができたのです。
やはり親に対して言いたいことはいろいろありました、が、話すことで傷つけてしまうように思ったので、言えずにいたのです。
我慢、我慢で、過ごしてきたことで、もうなにから話していいのかもわかりませんでしたが、いま話をしないと私は前にはすすめないと思い、 夜になってから『ちょっとここに座ってくれる?』といって話をしました
意を決した両親との話し合い
こんなことがいやだった、つらかったなどなど。。お腹にためているものを全部吐き出すようでした。
母は泣き出してしまい、だってあんただって。。。と返り討ちをくらい、修羅場になりそうでした。
でも、黙って聞いていた父は、怒るかとおもいましたが、以外にも『おまえ、そんなこと考えてたのか、よく話してくれた』と喜んでくれたのです。
びっくりでした。そして話してよかったと思いました。本当にスッキリしたのです。
それからはなんでも話をするようになり、父とも本音で話ができましたし、母とは一緒に旅行にいくくらい仲良しになりました
道学院で学ばなければ、あのままずっと両親とも分かり合えなかったし、母親との関係が変わったことで、職場や友人との人間関係が劇的に変わりました。
感謝、感謝です。
嫌われるのが怖かった
K.Iさん 47才 北海道 会社員
太ってコンプレックスだらけの私は人に嫌われるのが怖くて言いたいことも言えず、周囲を羨んでいました。
「洗心術」で「人と比べなくていい」「正しいより楽しく」と教わり、心が楽になりました。
楽しい方に考えられた
東京都 A・Aさん (57歳 女性)
イライラしたり、自分で勝手に怒りそうになったり、悪い方に物事を判断しそうになったりしたときに、気を切り替えて、楽しい方に考えることができるようになりました。
実践していくと、気の流れがいい感じがします。
物にあたることがなくなった
鹿児島県 S・Aさん (60歳 女性)
食べ物がおいしくなりました。以前は、何かあると、すぐにいらいらしていましたが、あまり腹を立てることもなくなり、物に当たることもまったくなくなりました。
ガクーンと落ち込まなくなりました。
N.T.さん
気のトレーニングを始めてから、ガクーンと落ち込むことが無くなり、気持ちが落ち着きました。
以前は、気をもんだり、焦ったり、がっかりしたり、喜びすぎたり、驚いたり、大変だったなあと思います。
生徒にかけた言葉は道学院のおかげ
N.A.さん
卒業式を三日後に控え、生徒会誌が配られました。
その中に、『僕が部長として悩んでいる時に、顧問のN先生から「自分らしくやっていけばいいんだよ」と言ってくれた言葉で救われました』と書かれていました。
だいぶ以前のことで、自分でも忘れていましたが、こんな言葉をかけてあげられたのも、道学院で学ばせていただいているおかげだなと、つくづくおもいました。
本当にありがたいことです。
人の話が理解できない
A・Sさま
昔から、私は、人の話がよく理解出来ませんでした。
よ~~く聞いているのに、話が全然頭に入ってこない。その人のことを理解したいのに、何かズレてる。非常に悲しかったです。
道家道学院で指導を受け、体からの影響もあるので、とにかく、気のトレーニングを前向きに行い、洗心術にて頭の切り替え方を学びました。
そうすると、ある日、電話をしていたら、相手の話がすっと体に入り、よく理解出来るし、自分もその話に応じての受け答えが出来たのです!!
今までは話していても、お互い一方通行な感じでしたが、その時、“気”が通じ合ってる感じがしました。本当に感動でした。
生徒にかけた言葉は道家の修行のおかげ
N.A.さん
卒業式を三日後に控え、生徒会誌が配られました。その中に、『僕が部長として悩んでいる時に、顧問のN先生から「自分らしくやっていけばいいんだよ」と言ってくれた言葉で救われました』と書かれていました。
だいぶ以前のことで、自分でも忘れていましたが、こんな言葉をかけてあげられたのも、 道家で修行をさせていただいているおかげだなと、つくづくおもいました。本当にありがたいことです。
アルツハイマー型認知症になった父の介護
札幌市.C・Nさま
私は父に対して随分と長い間、反抗期をしていました。
もう、どうやって普通に話したらいいのか分からなくなっていたくらいです。
もちろん、その状況をいいとは思っていませんでしたが、そんな気持ちに蓋をして、悩みもしなかった気がします。
洗心術を始めて受講した日
それが、初めて受講した洗心術で、「私は、父と話ができていません。」と発言しだしたのです。自分でもビックリしました。
学長から、「お父さんの好きなものでも買って帰りなさい。」と言っていただいたのに、 なんと私は「父が好きなものは、お酒と知っています。でも、お酒を飲んだ父は、好きではありません。」 などと酷いことを言ってしまいました。「少しでいいんだよ。」学長はそんな風に言ってくださったように記憶しています。
その夜、家に着いたのは、随分遅い時間だったので、当然、家族全員が寝ていると思って鍵をカチャッと開けたら、 ちょうどトイレ行こうとしているパジャマ姿の父と目が合いました。 私は、今だ!そう思って、「お父さん、今日はね、講座を受講してきたよ。お父さんにお土産がある。」と言って、 お酒を手渡ししました。父は、寝起きでぼんやりしていたのか、私に話しかけられたのが久しぶりすぎて、 何と言ったらいいのかわからなかったのか、「あっ、わざわざどうも…」と受け取ってくれました。 その晩は、それだけでしたが、翌朝からは、昔のように、なんてことなく普通に話していました。 今までの私は、なんだったのだろうと思うほど自然に…。 洗心術の効果に本当に驚き、良かったな~と思った出来事でした
家族にとっての第一歩
父が80歳半ば済んでいたでしょうか。母からお父さんの体のことや、物忘れについて相談を受けました。
私も何か変だな、前からそういうところあったようにも思う…。
あれ?物忘れ外来とかに行った方がいいのかな?
年を取るとは、こうゆうことなのか…
何度もおかしいと思う、
そして。。。
年齢のせいかなあと思いなおす。
そんな、家族にとって一喜一憂する日が増えてきて、ついに母に疲れが見えてきたころ、 ようやく物忘れ外来のある医療機関に受診することになりました。
医師からの診断は、「アルツハイマー型認知症」。
家に帰って、母親と妹に伝えること。そのことを受け入れること。それが第1歩だったと思います。
父と向き合う日々
父はケアマネージャーさんのお世話になることになり、デイケアに行きましょうと促されました。 行ってくれるのか、ちょっと心配でしたが、意外にも父は、「行くよ。」と言い、送り迎えしていただきました。
特にお風呂は、助かりました。そしてグループホームの入所を進められました。 それは、家族が父との距離を少しおくことで、お互い優しい気持ちでいることができる。 それがどれだけ大切なことであるか、ということでした。
どこも一杯で待機期間がかかるなか、家の近くに増設するグループホームがあることを、ケアマネさんが、見つけてくださり、 すっと申し込みしてくださったため、新しくて、明るく、きれいなグループホームにすぐに入所することができました スタッフの皆さんも若者が多く、活気あるところに入所することができ、本当についていたとしか言葉がない感じでした。 お陰で母、妹、私で会話する時間と余裕ができました。(母は、寝る時間も確保できました。)
父がグループホームに入ってから私は毎週会いに行きました。
父は自分が小さかった時のこと、おじいちゃんのこと、おばあちゃんのことなど色々話をしてくれました。 それは、思春期が終わってもなかなか会話することができなった私達親子の時間を取り戻すかのような時間でした。
時間軸が、今でないところにいることもあり、いまと昔がいったり来たりの会話がある日もありましたが、 そんな中、私の仕事の相談ができる日がありました。
私、「私はもう、仕事勤まっていないの。やめた方がいいのではないかと思う…。」
父、「で?、お前はくびだと言われたか?」
私、「いや、そうは言われていないけど…」
父、「置いてもらえ…。」
はっとしました。何を偉そうに辞めるとか、辞めないとか…。「置いてもらう」そうか!とスッキリしました。
お陰様で、その後60歳定年まで置いてもらい、その後もアルバイト的な作業をさせていただいています。 一番ビックリしていたのは、母で「あんた、よく最後まで居れたね。」と驚いていました。
ある日、転倒してグループホームから病院に入院したことがありました。 幸い軽傷で無事回復してきたころ、父が「グループホームの部屋に置いてある腕時計なくなっていないか見に行ってくれ。 隣のおばあさん、よく部屋を間違えてドア開けていたんだ、あのおばあさんもしかして…」そんなことを言い出したのです。
確かに、おばあさんが間違えて開けていたのは知っている。その度、父が、違うよ。ここは、俺の部屋だよ。と言っていたことも… でも…でも…父がこんなことを言い出すなんて。。。。
私は、父の目を見て「物がなくなるのが、なんぼのものなの。そんなの何てことないわ!それより、 そういうことを言うお父さんを見るほうが、よっぽどいやだ!!」と話したのです。
認知症の人はお財布を盗まれたとか、何度も話す人がいるのは知っていましたが、父はそれ一度きりで、それ以降一切聞きませんでした。
また、こんなこともありました。
療養型の病院に転院して少し経った頃、父は、何か言おうとするのですが、辛い顔をして言えない。。。やっぱり言おうとするのですが、 「ん~と~」と言葉にならないということがありました。どうしたのかなあと思っていると、同室の人が「お父さん、頑張れ!」 と応援する声が届きました。そして絞り出した言葉が、「俺は…俺は…酒を辞めることが出来なかった…悪かった…」と言ってくれました。
確かにそうなのです。父は、酒に飲まれるというか、決していいお酒ではなかったのです。でも…でも…お父さんには、 それを言わずに過ごすという道もあったはず…。そこを頑張って言ってくれた父に私は、 「そうであっても、お父さんのことは、嫌いにはならないよ。」と言いました。父は、ホッとした顔になりました。
こんなふうに、入院中、色々な話をしました。「アルツハイマー型認知症」だったのに父と私は、楽しく会話して過ごしました。 一番驚いていたのは、母です。「あんたが、お父さんにそうやって向き合うとは思わなかった…。」と、それはそうでしょう。 あれだけ長い間、ろくに話もしないでいたのですから…。
親孝行できた
最後は、早朝に電話があり、タクシーで病院に。
部屋に入るとベットを挟んで右に母、左に妹がいました。妹が「お父さん、おねえちゃん、おねえちゃん来たよ!」と叫んだので、 私は、妹のそばから父の手をとって、「お父さん、お父さん来たよ。」と言いました。 後は何を言ったのか覚えていませんが、だんだん冷たくなっていくのが分かりました。
息を引き取った後、妹が「一回、心拍数とか0になったんだよ。でも、おねえちゃん来るよ。 近くまで来てるよって言ったら、息を吹き返したんだよ。間に合って良かった~~。」といってくれました。 母は、「お父さん、右目から涙がツーっと流れたよ。」とのこと。涙見せたのは、母にだけでした。
最後の最後まで、お父さんには、意思があったように思いました。
無事見送ることができて、親孝行ができたなと思いました。
子供のころに親不孝ってなに?と両親に聞いたことがありました
母は「親に心配かけること。」
父は「親より先に死ぬこと。」と言いました。それだけはやりたくないと思って過ごしてきました。
私が元気で前向きに生活していると、母は安心するのか、ニコニコしてくれているので、そうやって生きていこうと思います。