【老子 道を学ぶ学校】道家道学院
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気功の源流となった 導引と「気の導引術」の歴史

導引の誕生と歴史

古代の人々は狩りをして生活していた

気功の源流となった『導引』の歴史は古く、誕生は古代中国までさかのぼります。

古代の人々は動物の動作や生態を研究し、その真似をすることで、動物から身を守ることを学びました。

そして、安全かつ効率良く狩りをするためには、獣や鳥の動きに気を合わせる必要がありました。

熊には熊のような、虎には虎のような姿勢をとることで敵の攻勢をそらし、さらに進んで相手を倒す技を身につけるようになったのです。

また、古代の人たちは、野生動物は病気にかからず、病気では死なない、という事実にも気がつきました。

そこで、野生動物の動きを真似すれば、病気にかからず、天寿を全うできるのではないかと考えたのです。

また、二本足歩行を始めた人間の動きの不自然さに気づき、野生動物の動きを真似ることが、 体内の「気」の流れを自然にし、人間の健康にもどれほど役立つものであるか、長い年月を積み重ねながら研究してきたのです。

そこから生まれたのが導引です。

この導引はツボと呼吸法とからだの動きを合わせて行うことで、体内の気の流れを改善し、健康的に無為自然に、 宇宙の気と一体となって、天地自然の流れに添った生き方をする為のものです。

単なる健康法ではなく、私たち人間も天地自然と一体になって、無為自然に生かされてゆくことが、本来の姿であり、 そのような生き方をすれば、悩みや苦しみや病気は消えて、明るく楽しく人生を開くことができるのです。

馬王堆の導引図の発見

最も古く残っている導引の図は、中国湖南省長沙市馬王堆漢墓から発見された紀元前168年の「導引図」です。

1971~1974年に発見され発掘調査が行われました。

紀元前2世紀には、すでに中国で健康を保つために体操のようなことが行われており、 医学的な研究も大変進んでいたという事実は、世界中でセンセーショナルに報道されました。

発見された王族の3つの漢墓の中には、病気にあわせた漢方薬や、病気について書かれた「五十二病法」といった医学書まで入っており 当時の地位のある人たちが、いかに健康ということに高い意識を持っていたかがわかる世界的な発見だったのです。

この漢墓から多くの木簡や帛書(絹地に書かれた書)が出土し、その中に四十四の導引の型が描かれた「導引図」が見つかったことで、 漢時代に導引が行われていたことが証明されたのです。

漢墓に埋葬されていた女性は、導引を行っていたためか、死後二千年経っているにもかかわらず、 肌には弾力があり、みずみずしい姿を保っていたといいます。

馬王堆

馬王堆から発見された2,500年前の帛書には導引のポーズがみてとれます

中国最高の医学となった導引

この頃から導引研究が急速に進み、後漢末には、華陀(かだ)という名医が「五禽の戯れ(ごきんのたわむれ)」 という動物の動きを真似た健康法を考案しました。五禽は、虎、鹿、熊、猿、鳥を指し、 この行法をすると疲れや病気がたちどころに治り、若さを保ち続けたといいます。

ごきんぎ

動物の動きをまねた導引「五禽の戯れ(ごきんのたわむれ)」

導引の日本伝来そして「気の導引術」へ

導引が日本に伝来したのは、4世紀ころに三体千字文が朝鮮半島を経て伝わってきたとき、古代帰化人として有名な、王仁によって、 平法学とともに伝わったといわれています。

この『平法学』が、清和源氏から瀬戸内の水軍で有名な村上源氏に伝わり、狭い船の中で居住する兵士の克病・健康法として奨励され、 道家道学院 早島天來 初代学長の先祖である大高坂家に伝承されていったのです。

この導引を、現代の生活に合わせて一般にもわかりやすく、学びやすいように体系化したものが道家道学院の「気の導引術」。

西洋医学が盛んになった明治時代以降、忘れられていた導引を「気の導引術」として現代によみがえらせたのが、早島天來道家道学院初代学長なのです。

早島天來 初代学長が確立した「気」の健康術

そして、初代学長が、隋代に記された中国最高の医学書『諸病源候論』をベースに、導引を現代人に合わせて見直し、 集大成したのが「導引術」・「動功術」・「洗心術」なのです。

なかでも「導引術」と「動功術」は、本場の中国や台湾でも驚きの目をもって迎えられ、道家龍門派伝的第十三代(正統継承者)の允可を受けました。

このように、「導引術」は長い歴史的背景をもつ健康法です。

そして、道家道学院は、早島天來初代学長が確立した「導引術」を学べる、正当な学院なのです。

早島正雄 道家道学院初代学長について

高知県生まれ。

日本で導引術を伝えてきた村上源氏の末裔で、昭和44年に、台湾で導引を受け継ぎ、道家龍門派伝的第十三代を允可。

同時に、道教の最高機関・六十四代の嗣漢天師府顧問に就任、のち、嗣漢天師府首席顧問をつとめました。

併せて台南市道教會首席顧問となり、 昭和55年、道家の教えを広める場として日本道観を設立、平成2年には、早島正雄は中国雑誌「気功」の顧問に就任、 また、同年、長年の功績が認められ社会文化功労賞を受賞しました。

平成5年には道家道学院を設立し、導引術の普及につとめ、 平成9年から13年にかけては、“道を説く本を書きたい”という願いのもと、早島正雄は総数80冊を超える著書を発行しました。

英語版、ドイツ語版、スペイン語版も発行されるなど、日本だけでなく海外でもタオイズムが静かなブームとなりました。

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